Update :
16 SEP, 2020
身体と融合するテクノロジーは「バリア」をなくせるのか?
- #Post CORONA
- #新たな価値創出と自己実現
- Moderator: Yumi SHIRAI(Future Vision Center, MRI)
- Speaker: Yushi MASUMOTO(CEO, Activate Lab Inc.)
- Speaker: Hiroshi NASU(Vice President, Activate Lab Inc.)
- Speaker: Shoko TAKAHASHI(CEO, Incubion Inc.)
- Speaker: Kouta MINAMIZAWA(Professor, Keio University Graduate School of Media Design)
障害者が「諦めない」で済む社会に
南澤 身体拡張には大きく2つあります。1つは「身体に何かを付け加える」ものです。例えば、障害があって目の前にある物が取れない方でも、自分の意思で動かせるロボットアームを装着すれば身の回りのことが出来るようになる。
もう1つは「距離を超える」ものです。例えば、自分の分身となる「アバターロボット」を世界中に置き、インターネット越しにログインすると、ロボットに乗り移って現地を動き回れるというような。「テレイグジスタンス」と呼ばれて昔からある技術ですが、今では産業化し、多くのスタートアップが立ち上がるまでになっています。
那須 すごいお話ですね。私どもアクティベートラボが関わる障害者の方々は、身体が不自由なことで様々なことを「諦めて」います。中でも海外旅行を諦めている方が多いんですね。言葉が通じないとトイレの問題が解決できないし、ホテルに泊まる時にバリアフリーの確認ができない。それを解決してくれる方法がないかと思っていたのですが、身体拡張技術があれば、障害者の方も諦めないで済むかもしれません。
南澤 実際、そうしたバリアをテクノロジーで解消しようとする活動は増えてます。介護施設にいる高齢者に、行きたい旅行先の360度映像を撮影してきてバーチャル体験してもらうとか。またオリィ研究所(orylab.com/)が開発した分身ロボットは、元々障害を持っている方、特にALS患者のコミュニケーションのために活用されていたのですが、今ではロボットで仕事が出来るまでになっています。今年7月にはモスバーガーで実験導入され、外出できない障害者の方2名がロボットを遠隔操作し、接客を行いました。
白井 増本さんご自身も右半身麻痺を抱えていらっしゃいます。こうした技術を使ってみたいと思いますか?
増本 使いたい、あったら便利だろうとは思います。ただ現実には、バーチャルで旅行が出来る、或いはロボットを使って就労するといったことの手前の欲求、より低いレベルの欲求を満たす技術が必要かなと。
那須 障害者の方々が1人で身の回りのことが出来ず困っている現状を、増本は多く見ています。まずはそんな方々の生活をサポートしたい。その先にバーチャル旅行やロボットによる就労があると良い。アクティベートラボとしては、そう考えています。
バリアを超えるために必要なデザイン
高橋 私はその順序に異論があって。年表では「身体拡張技術の普及が先、ロボット空間技術の普及が後」になっていますが、実際にはロボット空間技術をはじめ「身体拡張技術が普及するために必要なものが整ってからでないと、身体拡張技術の普及は実現しない」と考えています。
これはリハビリ用ロボットを作っている会社の方から聞いた話です。PT(理学療法士)、OT(作業療法士)などのリハビリを支える専門職の方々にインタビューすると、一番よく言われるのは「装着するのが大変なロボットなら欲しくない」と。
増本 おっしゃるとおりです。
高橋 私の父は脳梗塞の後遺症で左半身が動かずリハビリをしていたのですが、立つことも歩くことも全て人の手を借りないと出来なくなった自分に直面するというのは、とてもショックなんです。それでも良くなりたい一心で勇気を奮い立たせてリハビリルームまで行く。リハビリ用ロボットを装着しようとしたところがうまく着られない、持ち上げられすらしないとしたら?ただでさえ落ち込んでいるのに「機能回復するための機器にすら自分は手が届かないのか…」という絶望感を味わわされるんです。心、折れますよね。とても毎日そんな思いをするなんて耐えられない。どんなに良い効能を謳ったエクソスケルトン(外骨格)も最新鋭のパワードスーツも、使ってもらえないのです。使う人に拒絶される技術は普及しません。身体拡張技術が普及するために必要なのは、そうした壁を超えるための技術です。身体拡張技術そのものが発展する一方で、それを人々や社会が受け容れるための橋渡しとなる技術やデザインの必要性は見過ごされ、後回しにされているのではないかと感じます。
南澤 技術というか、まずデザインだと思いますね。今、我々は先天的に肘から先がない男性と「ミュージアーム」というプロジェクトを進めています。彼は楽器を弾くのが夢ですが、義手では楽器は弾けません。その夢を叶えるためのロボット技術はどうあるべきかを考えて、生まれたのが「義手そのものをギターにする」アイデア。実際、彼はそのギターでライブに出演しました。本人がやりたいと思うことが出来るようにならないと、身体拡張技術も意味がありません。ようやく、こうした議論ができるようになってきたところです。5年前ならそもそも技術が無かったかもしれませんが、今では個別の問題に応じて技術を組み合わせてデザインできるまでになりました。
那須 高橋さんの話に共感しました。アクティベートラボが作った「オープンゲート( open-gate.jp/)」は障害者が同境遇の方と出会い、共感し、交流できるSNSです。ある日突然、障害者になってしまった方は絶望感に打ちひしがれています。でも、自分と同じ境遇の人の体験談を聞くことでポジティブな感情になれる。それが行動を促し、目標を持った希望のある人生を目指せるようになる。このプロセスのどこかに技術が入り、補っていけると嬉しいですね。
社会設計を疑う視点が必要
那須 普段、障害者の方にお会いしようと思うと2つのパターンに分かれます。「自宅に来てください」という人と「こちらから出向きます」という人です。8〜9割が前者で、自分から出向こうとする人は非常に少ない。本来はもっとアクティブに、車が運転できる人は運転していいし、車椅子でも公共の交通機関を使っていいはずですが、彼らには「人に迷惑をかけてはいけない、人の手を煩わせてはいけない」といった不安があります。われわれは迷惑とは思っていないのに、障害者の方はバリアを感じている。そこは健常者が気づきにくい点だと思いますね。健常者なら難なくできることも障害者の方にはできない。そういう1つ1つをテクノロジーで補完できるといいのですが。
高橋 「○○のように振る舞うことが出来ることがゴール」で技術がそれを助けるという在り方も、既に見えないバリアに囚われているのかもしれません。これまでの社会設計では、誰かを社会の代表モデルとみなし、その”誰か像”に最適化された社会を前提として、技術はそれを補完する方向に使われるものを考えがちです。でもせっかくなら、色々な人やロボットが共生することを前提にあたらしい環境や社会ルールを作っていき、技術と社会が相互に影響し合いながら進化する方がいいと私は考えています(図を参照)。
那須 本当にその通りだと思います。私のようにマーケティングをやってきた人間は、ユーザーをシックスシグマ(品質管理のフレームワーク)の中に収めてしまいがちです。例えば新幹線の座席なら「身長145cmから190cmぐらいの人がコンスタントに座れたらいい」などと考える。でも世の中には当然、シックスシグマから外れる人がいます。障害者の方もそう、育児をしている人もそうかもしれません。
南澤 ロボットもそうで、社会全体でダイバーシティ&インクルージョンを担保する議論をしないと普及しないと思います。うちの学生に独特なやつがいて、彼女はロボットの「ペッパー」と一緒に暮らしているんです。ペッパーと一緒に電車に乗り、ペッパーと一緒に仕事に行く。何が言いたいかというと、将来的にロボットが本当に街に入り込むと仮定するなら、そんなふうにロボットが普通に道を歩いているはずだし、ロボットをパートナーとして暮らしている人もたくさんいるはずなんです。でも、じゃあロボットが電車に乗れるようになっているかというと、乗れない。彼女のペッパーも、駅の改札で止められたり荷物扱いにされたりします。技術はできているのに、社会に普及するためのルートが塞がれている。そんなケースが多い気がします。
白井 ペッパーを連れて歩くことも、そのルートを開くきっかけになりますよね?
南澤 さっきのペッパーの話は、そもそも今、何が課題になっているのかをあぶり出すプロセスですね。似たような試みは行われています。先述の分身ロボットは、障害者が働けるようにするのがミッション。しかし、実際に働いて時給が生じると「労働できる状態」とみなされ、介護保険が適用外になります。仕事をするといっても介助者は必要で、これでは稼ぐメリットより介護保険適用外になるデメリットのほうが大きくなってしまう。障害者本人は社会参画できてハッピーでも、介護保険制度はそれを認めていないし、障害者が社会参画することが想定外になっている。こうしたケースをあぶり出さないといけない。
増本 僕が思うのは「制度が障害者のためのものになっていない」ということです。僕は脳出血で倒れてから4年間のリハビリに専念した後、ようやく就職活動を始めました。でも60社に応募しても雇ってもらえない。ようやくアルバイトで働きはじめても「君はいるだけでいいから」と言われました。自分は障害者雇用の人数合わせのために雇われたのか。あの時は本気で自殺しようと思ったぐらいです。とにかく当事者の視点が制度の中に入っていない。裏を返せば当事者の視点を入れるだけで、制度設計もテクノロジーも違うものになると思います。例えばさっきの電車の話。なぜ車椅子だと駅員さんの介助が必要かと言うと、電車とホームの隙間が広いのと、段差があるせいです。もしそこにフラットにする装置が電車の側にあったら、もうそれだけで介助がいらなくなる。
白井 健常者向けに最適化されている社会インフラを、障害者の方も受けいれやすいよう変更していく。ハードルが高そうにも思えるのですが、そのために何が必要でしょうか。
高橋 そのインフラやルールが健常者にとって本当に最適なのか、疑ってみるのがよいと思います。父が障害者になった時、実家に介護用お風呂椅子を購入しました。父のための椅子でしたが、使って感激したのは障害のない家族でした。「信じられない。こんなに便利なお風呂の椅子があったなんて!」普通の椅子と同じ高さだから座るのも身体を洗うのも楽、屈まなくていいから転ばない、ゴム製だからすべらない。畳めるので場所をとらない。良いことづくめなんです。お風呂場といえば銭湯にあるようなプラスチック製の低い椅子が当たり前だと信じて疑わなかった自分に愕然としたほどです(笑)「私たちにはこれがベストだ」という見方自体が単なる思い込みであって、すでに視野が狭いんですよね。障害者の方や小さいお子さんのいる方、そしてロボット、皆が一緒に暮らすことを前提とした社会に変わるということは、今私たちが思っている以上に健常者にとっても「そうしたい」と思える変化かもしれない。
那須 シックスシグマから外れたエクストリームユーザーを見ることが、結果的に一般の方のためにもなる。その例として私はよく「Zippoライター」のお話をします。Zippoは戦争で片手を失った人でもタバコに火がつけられるように作られたライターです。つまりエクストリームユーザーのためにつくられた商品なんですが、一般の方にもすごく使いやすい。
南澤 商品にしても社会設計にしても、まだ大量生産と大量消費の時代を引きずっているんだと思います。シックスシグマの中心として設定しているものもズレている。つまり健常者にとって一番快適にフィットしているとも言えなくて、健常者は多少不便であっても何とかできる程度の余力を持っているというだけ。障害を考えると、どうしても「既存の規定に合わせられるか」という話に多くなりがちです。でも本当はもっとゼロベースで考えられるはず。「健常者にも障害者にも使いやすいデザインがあるよね」とか、「そもそもなんで満員電車にのって通勤しないといけないんだっけ」とか。そんなふうにゼロベースであるべき社会を考えるには、今はいい機会なのかもしれません。
白井 コロナ禍で在宅勤務に慣れると、当たり前のように満員電車に乗っていた頃がずいぶん昔のように思えます。確かに今こそ、これまでの社会をゼロベースで考え直すチャンスかもしれません。多様な当事者の声を聴くことは、誰にとってもバリアのない社会に繋がる。今後も必要なサービスや社会制度について議論を深めたいと思います。本日はありがとうございました。
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#健康維持・心身の潜在能力発揮
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